霊岸島

2014年01月30日

 東京メトロ東西線茅場町より永代橋向かって2分ほど歩くと茅場町と霊巌島とを結ぶ亀島川に架かる橋がある。霊岸橋である。霊巌島に渡るところから名付けられたのであろうか。この地に寛永元年(1624)、雄誉霊巌和尚が八丁堀東の海上を填築して霊巌寺を創建したことから霊巌島と名付けられたという。
霊巌寺は史上まれに見る大火災であった明暦の振袖火事により焼失し、その後、幕府の命令により深川に移され、その跡地に商業を営む人々が移住した。町屋の人々の営んだ商業の中で «下り酒» を扱う人々の仕事がこの地の中心的なものとなったわけであるが、霊巌島が門前町ではなく商業地区として発展するきっかけが火災であったということが出来る。
掘割に囲まれ埋め立てにより生まれた新川などを含む霊巌島は、埋め立て当初は地盤がゆるく歩けば動いたため、「こんにゃく島」と言われた。後年、この界隈は船の出入も多くなり娼家が建ち並び賑わった。遊女たちは「こんにゃく芸者」と呼ばれたとの話も残っている。

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